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〜津波発生より2年半が経過いたしました。2年経過した後のNGOからのレポートを順次しています。是非ご覧ください。〜 |
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※支援内容はニーズ等により、刻一刻と変化いたします。最新の活動状況を掲載できるよう努めてまいりますが、より詳しくは、各団体のHPをご覧ください。 |
| 団体名 |
支援国・地域 |
支援内容 |
| インドネシア・アチェ州 |
心と体のケアを通じた |
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| スリランカ北東部・南部 |
心のケア等 |
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| タイ南部 |
子ども達の心のケア、「移動図書館」活動などを実施 |
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| タイ南部 |
保育所に必要な設備や教材、絵本などの 活動費、調査費支援 |
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| (特活)シェア=国際保健協力市民の会
2007/8/15 ご寄付の受付を終了いたしました。 |
タイ南部 |
在タイミャンマー人移民対象参加型保健教育活動 |
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タイ南部 |
小規模漁民への船・漁具・常設住宅の支援
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| (特活)日本紛争予防センター 2006/9/6 ご寄付の受付を終了いたしました。 |
スリランカ東部沿岸 |
収入機会拡大支援、村落巡回カウンセラー活動 「心のケア」支援、コミュニティー基金形成支援 |
| 日本民際交流センター 2006/5/1 ご寄付の受付を終了いたしました。 |
タイ東北部・南部 |
奨学金提供、学校用機材・自転車等を贈呈 |
| (特活)ピース
ウィンズ・ジャパン 2006/2/28ご寄付の受付を終了いたしました。 |
インドネシア・アチェ州 |
物資支援、帰還支援、衛生・水、 |
| (特活)シャプラニール=市民による海外協力の会 2005/3/22ご寄付の受付を終了いたしました。 |
インド・スリランカ |
避難キャンプにおける衛生状態悪化防止のための 支援、政府やNGOの支援が届きにくいコミュニティや ホームレス、身寄りのない子どもたちの心のケア等 |
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| 【支援地域】インドネシア・アチェ州パンダアチェ |
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◆紛争解決後の支援として 2005年8月15日、30年間に及ぶアチェの紛争(インドネシア政府とアチェ独立派グループGAM間の対立)を終焉させる、歴史的なヘルシンキ和平合意が締結された。この和平合意を受け、これまで国際機関が入ることのできなかった地域へのアクセスが可能となり始め、この状況を逸早く受けたAMDAは、津波の被災地でもあり、且つ国内避難民や犠牲者をこれまで多く出してきた南アチェ県での事業開始を決定した。 【2006年1月〜6月: 紛争解決直後の支援フェーズ】 *医療和平事業 紛争当事者の双方に中立人道の立場から、医療協力をもって紛争の緩衝を図り、和平プロセスに寄与する試み。AMDAとしては4番目の医療和平事業となる南アチェ県では、国軍とGAMの双方から事業実施の合意を得、細やかな連携と報告に徹することで、和平後にも摩擦が残る双方との間にそれぞれ強い信頼関係を構築してきた。 ◎巡回診療 "Medical Service Builds Healthy Community, Healthy Community Builds Peaceful Community" :(2006年1月〜2006年6月 南アチェ県内 5村 直接裨益者数 4,260名) 「和平合意により、紛争被害を受けた南アチェ県でも、ようやく医療支援活動が行なえるようになった。このAMDAのプレゼンスにより、地域住民の和平に対する自信と信頼を更に高めたい。」このメッセージと共に、アチェ出身の医師と地元の看護師をチームに加え巡回診療を実施。 |
| ◎AMDA Peace Community Center : (2006年1月〜2006年6月 南アチェ県内 5村) 紛争の被害により破壊され、また軍の駐屯地と化してしまった保健所や放火された学校。こういった苦い経験を経たコミュニティーに、村の公共の場として、祈りや集会、コーラン読みの学習等といった多様な目的のために利用できる、"AMDA Peace Community Center"を5村で建設。AMDAの事業終了後も、地域住民にとって役立つ公共の場として利用されている。 ◎ REACH for PEACE "Peace Brings Many Friends for You!" : (2006年1月〜2006年6月 南アチェ県内 5村 直接裨益者数 3,600名) 津波の被災地で実施してきたREACHプログラムをベースに、紛争地域で育ってきた子供達のための心のケアを実施する。「移動図書館・保健衛生及び栄養教育」を軸にしながらも、「平和な心を学ぶための活動」として、イスラム教の歌やアチェの伝統民謡を使ってのダンス・セラピー、平和・友情・信頼を学ぶ機会としての創作活動も行なってきた。 |
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◆津波震災後・紛争解決後の復興支援から開発へ向けて |
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| 『紛争と津波 二重の苦難を経て』 (2007/10/28up) |
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JENスリランカ事務所では、2004年の津波を受けて、南部のハンバントタ県を中心に緊急から復興の支援を続けてきました。
この事業は、職業訓練と児童活動に心理カウンセリング゙を組み合わせ、被災者が再定住地域で再び生活を立て直していくための後押しをするというものです。 活動自体はほぼ終了し、現在は活動後のフォーローアップとその効果について評価を行っています。 各事業村では、今後住民自らが事業で得た知識や技術を生かしながら魚網作りや野菜栽培などの活動を続けていけるよう、互助会が設立されました。また、スポーツや英語学習など子ども達の活動は、両親の熱心なサポートもあって、多くの村で継続しています。 |
| 一方、今秋からはスリランカ東部に位置するバティカロア県で、紛争と津波による二重の苦難を受けた帰還民への支援を開始します。
スリランカでは、1980年代からスリランカ政府軍とタミール人の武装組織であるLTTEとの紛争が始まり、未だに続いています。2002年には双方の間で停戦合意がなされましたが、それも反故され昨年から紛争が再発しました。 バティカロア県でも激しい戦闘が行われ、県内だけでも昨年以降約16万もの人々が生活の場を奪われ国内避難民となっています。この地の紛争が収束に向かった今年の春から、約10万人の人々が元の村に帰還しました。 JENの支援地域であるバティカロア県のワカライは、2004年末の津波でも8割以上の住民が被災しました。 被災状況の大きさにも関わらず、LTTE支配地域であったことから災害被災者への支援が届きにくく、生活基盤や生計手段を失ったまま困窮を極めています。 長く続いた紛争の傷跡に津波が追い打ちをかけた形となり、再定住への道のりは遠いものです。 JENがこれまで南部で培ってきた経験を生かし、漁業を中心とした生計の回復と、自立した生活への支援を行っていきます。 |
| ■津波から2年 〜復興支援のいま〜(2006/12/28) JENの野菜栽培事業に参加しているワサンティさんの家は津波で全壊し、夫を亡くしました。 「津波から2年が経ち、多くのNGOが既にハンバントタから去っていきました。 新しい家に住み始めたものの、夫を失った私の家族には生計手段がなく、毎日ぎりぎりの生活をしていました。 JENが今でも続けてくれている事業に参加して、庭で野菜を栽培できるようになり、とても助かっています。 これからより多くの家族がJENの活動に参加できるようになるといいなと思います。」 JENが津波被災者の再定住地区で行っている野菜栽培は、身近なものを使って行う有機栽培です。 例えば、ペットボトルを使ったじょうろ、近所に生えているハーブから作った有機農薬、自宅のゴミから作った有機肥料など、低コストで家庭レベルでも続けていける野菜栽培を行っています。 |
![]() 野菜栽培のコンポストタワー |
| 特に人気なのが「コンポストタワー」と呼ばれる葉野菜栽培機。 ペットボトルと大型のゴミ袋で作ったタワーの中に土と肥料を混ぜて入れます。 袋のところどころに葉野菜を挿しておくと、つぎつぎと新しい芽が出てくる、というものです。 真ん中のペットボトルは灌漑設備の役割をしていて、ペットボトルの口に水を注ぐと、ペットボトルの細かい穴から水が染み出て、程よく土が湿るという仕組みになっています。 最近はJENの事業地以外の村でも、近隣の住民が真似をして、庭のあちこちにコンポストタワーが立ち並ぶようになりました。 このように、JENの事業は地域全体に影響を与えて、手ごろに出来る野菜栽培の普及に一役買っています。 |
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皆様からのご支援に改めて感謝を申し上げるとともに、このご支援をきっかけに、これからも被災地の人たちを応援し、見守り続けていただけますよう、重ねてお願いを申し上げます。
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ご寄付の受付は、2007年12月31日をもちまして終了させていただくこととなりました。 |
![]() 移動図書館車 |
SVAは現在、被災した子どもの「心のケア」として図書館活動を行っています。 |
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津波で被災したナイライ村に図書館が完成! スマトラ沖大地震による津波で被災したパンガー県ターイムアン郡ナイライ村に公共図書館が完成、2月3日落成式が行われました。 この村は、人口約700人、アンダマン海に面した小さな漁村で大半の民家が被害を受けました。SVAは被災直後にこの村に入り、学用品の配布や移動図書館活動などの緊急支援を行ってきました。現在ナイライ村には新築の恒久住宅が立ち並び、被災当事の面影はほとんど残っていません。目に見える復興は着実に進んでいます。 ナイライ図書館は、小学校の敷地内にあり、図書の貸出や子どもの活動以外に、村の会議やイベントなど多目的に利用され、コミュニティセンター的な役割を果たします。「誰もが入りたくなるような、親しみやすいスペース」をテーマに作られた図書館は、子どものみならず大人にも好評で、新しい図書館をのぞきにやって来る住民が毎日絶えません。 |
![]() 完成した図書館の前で(落成式当日) |
![]() ナイライ図書館の内部 |
![]() ハリマ・タッポーンちゃん |
![]() トゥリヤポーン先生 |
◆ 図書館ができて・・・ 小学5年生のハリマ・タッポーンちゃんは、「授業が終わったら毎日図書館に通っています。楽しい絵本がいっぱいあって、図書館が大好きです。好きな絵本はスサコーンです。」と話してくれました。 また小学校教員のトゥリヤポーン・ジャンタウォンさんは、「ナイライ図書館の落成式にたくさんの方に集まっていただけて、とてもうれしく思います。子どもたちはもちろん、今まで本に触れる機会のなかった村の人々も図書館に大変興味を示しています。」と話してくれました。 これからは学校が図書館の運営を担っていきますが、SVAは継続して活動や人材育成のサポートをしていきます。 |
◆2007年末までを目途に活動を継続 緊急救援活動としての取り組みは2005年末をもって終了、現在復興支援として図書館活動を行っていますが、今後これまでの支援内容を含めて2007年末までを目途に現地の人々に移管できるよう受け皿づくりとともに、人材の育成を支援し、活動の定着を図っていきます。
これまでのご支援ありがとうございました。 これからも、懸命に生きている子どもたちに声援をお願いいたします。 ※これまでのSVAの支援活動については、こちらをご覧ください。 |
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| 【支援地域】タイ南部:パンガ−県 |
2004年12月におきたスマトラ沖地震による津波によって、シェアが長く活動を続けているタイでも、南部では津波の被害を受けました。シェアはTAG(Tsunami
Action Group‐ミャンマー人移民支援のために4つのNGOにより結成) の加盟NGOであるHREIBを通して、在タイミャンマー人移住労働者への保健教育活動を行ってきました。 【事業の概要】 |
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(4)主な活動 W. 他NGOとのネットワーク構築 (6)成果 皆様のあたたかいご支援、誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
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| 【支援地域】タイ南部
◆スマトラ津波被災地の支援活動を終了いたしました。(2007/10/28up) 2004年12月、インドネシア・スマトラ島沖地震により大津波が発生。CYRは、深刻な被害を受けたタイ南部、ラノーン県と、近隣の貧困層が多い地域で、被災した幼い子どもたちの心のケアを目的に支援活動を続けてきました。 2007年7月、関口晴美(カンボジア事務所長)、山極小枝子(保育専門家)がタイへ出張し、この事業の最終評価を行いました。 |
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■活動1 |
| 成果A |
| ■活動2 この事業は、多くのみなさまのご支援を得て実施いたしました。ありがとうございました。 |
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■タイにおけるスマトラ沖地震・津波被災者への支援にご協力をお願いいたします。(2006/8/20up) ■予想される成果
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(1)ビルマ人労働者の子どもたちへの医療支援 |
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(2)ビルマ人被災者遺体返還のための政策提言 ★詳しくは・・・ |
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(3)日本での防災研修 ■津波直後の2005年1月から、2年後の2007年1月まで、36本全てのレポートはこ |
◆これまで実施してきた活動項目
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| ※ご寄付の受付は終了させていただきました。 |
《記事@》女性のグループに製品の注文がきました! |
![]() ワックスの塊を細かく砕く |
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| C幼稚園の整備(アンパーラ県) |
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《記事A》現地で子どもたちのインタビューをしました。2人の子どもを紹介します!
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【活動国及び地域】 タイ国南部(プーケット島、パンガー県、ラノーン県) |
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2.賞をとったエッセイの作品 エッセイコンテストの対象児童は1,000〜1,500人の児童でしたが、400人分のエッセイしか集まりませんでした。その理由の1つとして、GHREDCが運営している学校がないプーケット県からエッセイが全く寄せられなかったからです。当初、県教育局にお願いした際は、積極的な姿勢だったようですが、エッセイを集める段階では、連絡をとっても応答が無かったそうです。 一方、エッセイに応募した子どもたちは、学校で自己表現の訓練を十分受けることができず、自分の気持ちを文字で表現することに慣れていないにもかかわらず、四苦八苦しながらエッセイを書いてくれました。以下は、入賞したエッセイ10点のうちの2作品です。 |
| ● Lae Lae Soe (10歳) 「ミャンマーからタイに来て、こうして学校で勉強できるだけで、とても幸福です。この学校が開校されるまでは、私はいつも家にいて、とても退屈でした。朝、同じ年位のタイ人の子どもが制服を着て学校に行くのを見て、『どうして私はいつも家にばっかりいて、学校に行けないの』と悲しい思いで自問自答していました。今、5年生ですが、将来は先生になって、私のようにタイに来て、生活に困っているミャンマー人の子どもに勉強を教えたいと思います。もしあなたが、外国で移民の子として学校に行くチャンスがない私たちと同じ生活だったら、きっと私の気持ちが分かると思います」 ● Thein Naign Soe (12歳) 「タイで勉強ができて、とても嬉しいです。タイに来たばかりの頃は、警察が私たちのところに来ると、隠れていました。いつも外に出ることに恐怖を感じ、家に閉じこもったきりでした。でもミャンマー人の学校ができて、外に出て勉強できるようになって、しかも友達もできて、気持ちが落ち着きました。学校ではビルマ語(国語)、タイ語、英語、それに算数を習っています。その中で算数が一番好きです。将来はお医者さんになって、ミャンマーで病気の人を治してあげたいと思います」 |
| 3.外に出て「子どもの日」を楽しんだ!! タイの「子どもの日」の2006年1月14日、ミャンマー児童150人とその親150人が地域の広場として使われているお寺に集まって、子どもの日を楽しみました。当日は9時から14時まで、エッセイコンテストの入賞者への賞品授与、民族衣装をまとっての伝統的な踊りや歌(写真右)、ゲームやクイズなどを楽しみ、お菓子、ジュースも無料で支給されました。また、参加した子ども全員にクレヨンが配られました。民際センターからはタイ事務局スタッフとバンコクの大学生ボランティアが参加しました。 |
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4.現地NGO「GHREDC」担当者へのインタビュー スマトラ沖津波を契機に、GHREDCはパンガー県でミャンマー人児童のための学校経営を始め、現在9つの学校を運営しています。生徒数は全部で242人、先生は23人(20人がミャンマー人、3人がタイ人)。この報告書作成に当たり、GHREDCでプロジェクト担当のKyaw Lin Ooさん(写真左)にミャンマー児童の状況についてタイ事務局スタッフが聞きました。 |
| ――こちらで学校を設立したきっかけは? Kyawさん: 「タイ児童の親が嫌がるので、多くのミャンマー児童がタイの学校に行けないことは津波以前から知っていました。また、タイに来てからミャンマー人出稼ぎ者の抱える困難の原因は言葉のギャップと労働者としての権利について何も知らされていないことだと感じていたので、津波以前には、労働者の権利などについて教えていました。しかし、津波で彼らの子どもたちの教育環境がますますひどくなるのを見て、津波の後、場所を借りて学校を始めました」。 ――GHREDCが運営する学校では何を教えていますか? 正式にタイ政府に認められていますか? Kyawさん: 「ミャンマー語、タイ語、英語、それに算数です。学校はタイ教育省の正式認可を受けていませんが、津波の後、多くのNGOが彼らの支援に乗り出した結果、タイ政府も少しずつですが、ミャンマー児童の状況を理解し始めています」。 ――タイにいるミャンマー児童の将来をどう思いますか? Kyawさん: 「親の意向と子どもの希望がすれ違っています。両親はできるだけ長くタイに滞在してお金を稼ぎたいと思っていますが、子どもはタイで差別を敏感に感じているせいか、タイ人社会に溶け込もうとする気持ちがないようです。そのため、タイ人と同じ学校に行くよりもミャンマー人だけの学校で勉強する方が落ち着くようです。その結果、子どもたちに将来の希望を聞くと、タイ人社会とミャンマー人社会の架け橋になるというよりは、ここでミャンマー人のために何かしたい。または母国に帰って医者や先生になりたいという子が多いようです」。 5.プロジェクトの成果 タイ社会の中で孤立感を強めていたミャンマー児童は、スマトラ沖津波でさらに厳しい経済・教育的環境に投げ込まれ、教育の大切さを実感できず、将来の夢や希望を失いがちです。このような子どもたちが、教育を通じて自分の将来を自らの力で切り開こうとする意欲を取り戻すためには、自らの頭でしっかり教育の意義を再確認することが必要です。エッセイコンテストの実施とミャンマー児童のための「子どもの日」のイベントは、こうした目的に沿って実施されました。具体的な成果として、以下の点が挙げられます。 ●エッセイ 「教育に期待すること」のテーマで作文を書く過程で、子どもたちは将来(自分は誰のために何をしたいのか)や過去(タイに来た当初、なぜ自分はタイで学校に行けなかったのか)を考えるきっかけになったようです。それが、教育の大切さの再確認とともに、もっと勉強して自分を成長させたいという意欲や希望の芽を生み出しました。また、学校の教師は、自分の気持ちや意見を表すことに四苦八苦する子どもたちを見て、自己表現の訓練が不十分だったことを認識したようです。 ●「子どもの日」への参加 「子どもの日」に民族衣装を着て踊りや歌を発表することで、ミャンマー人としての誇りを感じることができたようです。また、学校で友達と一緒に踊りや音楽を練習することや、他の学校のミャンマー児童と同じ場所・時間を共有することで、連帯感や仲間意識を取り戻すこともできました。また、タイや日本にも自分たちの境遇を理解し、支援してくれる人がいることを知り、励まされ、感謝し、将来に希望を見出すことができたようです。 ●エッセイ集 エッセイ集を作成して、タイの法律で保障されている労働者や難民としての権利について学校で教える際の教材にする予定です。また、必要に応じて、エッセイ集がタイ語や英語などに翻訳され、配布されることで、彼らの実情をタイ社会や国際社会に広くアピールすることができます。 ※タイに暮らすミャンマー人は写真と名前を一緒に載せることを極度に警戒します。身元が判明すると、ミャンマーに送還されるかもしれないと恐れているからです。そのためエッセイの書き手の写真を取ることができませんでした。 |
引き続き皆様のご支援を、お願い申し上げます。
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| ご寄付の受付は終了させていただきました。ご支援誠にありがとうございました。 このたびの地震の際には、直後より数多くの支援者や企業、団体からご寄付をいただきました。事業立ち上げの際に機動力が大きな意味を持つ災害支援において、皆さまからのご支援は何より心強い支えとなりました。厚く御礼申し上げます。 収支報告(20005年7月時点)については、こちらをご覧ください。 |
| 【支援地域】インドネシア・スマトラ島北部 ■被災の子どもたちに手づくりの制服 |
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PWJは、スマトラ島沖地震津波被害者への支援のひとつとして、アチェ州の州都バンダアチェで、女性たちのための収入向上支援事業を行っています。 |
| 3月中旬から、バンダアチェ市内の女性10人に製作を依頼。完成した制服はPWJが買い取り、4月末までに102人分(シャツ408枚、男児用ズボン116着、女児用スカート88着)を市内の小学校を通して子どもたちに支給しました。
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![]() 制服と千羽鶴のお礼に歌を歌って くれました |
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※これまでのPWJの支援活動については、こちらをご覧ください。
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| ご寄付の受付は終了させていただきました。ご支援誠にありがとうございました。 シャプラニールは3月22日(火)をもちまして、スマトラ地震・インド洋被災者救援・復興活動に関する募金の受付を終了させて いただきました。これまでたくさんの個人の方、企業・団体の方からのご協力をいただき本当にありがとうございました。 募金の受付は終了しますが、津波被災者の復興活動は今後とも継続していきます。 復興活動に関する最新情報は引き続きインターネットにて掲載していきますので今後ともよろしくお願いいたします。http://www.shaplaneer.org/campaign/tsunami04.htm |
| 【支援地域】インド、スリランカ インドネシアのスマトラ島沖で12月26日朝に発生した大地震に伴う大津波はインド洋をはさんだ南アジアを直撃し、インド、スリランカをはじめとする各国に甚大な被害を与えています。 シャプラニールでは、ますます拡大する周辺各国の被害状況をかんがみ、現地で活動するNGOと協働して救援活動を開始すること決定しました。シャプラニールでは、活動地以外で緊急救援活動をおこなうにあたって、現地事情に詳しい地元NGOとの協働を基本としており、今回も現地に本来の活動地をもつNGOをパートナーとして活動しております。 |
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【インド】 |
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【スリランカ】
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皆様からのご寄付は、責任を持ちまして上記支援活動を行う2団体へお届けいたします。
* 各団体へは、集まりましたご寄付金額の総計により、1ヶ月後又は2ヵ月後を目途に送金させていただきます。
【例1】郵便局または銀行で5,000円のご寄付をされた場合(1度目) 〜お礼状について〜 |
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