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現在活動は、人々の生命を緊急に守るための緊急支援から、住宅・学校建設や教育・保健などの復興支援へ移行しています。
NGOは、様々な側面から被災者の方々のサポートをしています。引き続き皆様のあたたかいご支援を、宜しくお願い申し上げます。

 2005年10月8日午前8時50分(日本時間午後0時50分)、パキスタン北部において、M7.6の地震が発生いたしました。
この地震によりパキスタン側とインド側でおよそ7万5000人が死亡、350万人が家を失いました。
未だ復興の兆しが見えない地域がある中、将来への不安を抱えながら日々の生活を過ごしています。

 
団体名
活動内容
(特活)JEN
学校再建事業
(財)ジョイセフ
(2008年10月2日寄付受付終了)
母子保健サービス支援活動
(特活)AMDA
(2007年4月7日寄付受付終了)
パキスタン北部地震被災地で巡回診療を実施

(特活)日本国際ボランティアセンター(JVC)
(2006年12月31日寄付受付終了)

仮設トイレの設置
(社)シャンティ国際ボランティア会
 (2006年7月26日寄付受付終了)
文具・図書・遊具の配布、遠足事業、仮設校舎の設置

(特活)シャプラニール=市民による海外協力の会
 (2006年1月31日寄付受付終了)

支援物資を配布
(特活)ピース ウィンズ・ジャパン
(2006年1月7日寄付受付終了)
耐震技術研修の実施、帰還支援
 

■バーグで2校の学校を再建

パキスタンは、震災後2度目の冬を迎えています。
JENはこの春からバーグ県ハベリ郡で耐震構造の学校再建を開始し、2校が12月末までに完工予定です。

生徒たちの中には、授業中に地震を体験したために怖くて建物の中に入れない子どももいます。
このためJENは学校再建と並行して震災教育を行い、正しい地震の知識を身につけると同時に、地震のときの避難方法や対処方法を学ぶことで子どもたちの恐怖感を軽減できるような工夫をしています。
また、学校の再建に伴って手洗い場やトイレも設置するため、これらの施設を正しく使えるような指導も行ないます。
このように、学校の建物を再建するというハード面の支援だけでなく、ソフト面でのサポートも同時並行で進めています。

2007年は、引き続き学校の再建と、先生を対象とした震災教育や、2006年の春までに配布した教室用大型テントの修繕なども実施する予定です。
震災から1年が経ちましたが、未だテント生活の人たちがたくさんいるパキスタン。
今後の復興にかかる長い道のりを見守り、支えて下さる皆様に改めて感謝を申し上げます。

 

教室用テントで勉強する子どもたち

山と谷を超えテントを運びます

青空教室の子ども達

教室用テントを運ぶ

■学校再建事業を開始(2006/6/8)

JENは今年の1月〜4月まで、地震で学校が壊れ、寒さの厳しい冬青空教室で勉強する子どもたちのために、教室用大型テント249張を配布・設置しました。
5月1日から、ハベリ郡バダル区にある2つの村の公立小学校2校を対象に学校再建を開始しました。再建される校舎は耐震構造になります。

多くの子どもたちは地震が起きたのは宗教的な理由だと信じ、また地震の恐怖心は心の傷となって残っています。JENは、地震の正しい知識を伝えることで、子どもたちの心の傷を軽減して行きます。
 
ダラハス村 アジブ 君(11歳)
『地震があったとき、授業中で教室の中にいました。突然地面が大きく揺れ始めました。生徒たちみんなががパニック状態で出口に殺到したので、僕は教室の後ろ側の席からなかなか出口に辿り着けませんでした。そんな時、壁の一部が崩れて、教室の建物が大きく傾きました。僕がちょうどドアを抜けようとしていた際、ドアが勢いよく閉まってしまい、そこに足をはさまれて動けなくなりました。その傷跡は今でも残っています。そんな状態で30分もした頃、村の人たちの声が聞こえて来て、教室内に閉じ込められていた生徒たちもみな助け出されました。』

■山と谷を越え、教室用大型テントを運びます。(2006/4/13)

現在、JENが教育支援活動を行っている地域は、山あり谷あり川ありと歩くだけでも大変です。事業地までテントを車で運べることはほとんどなく、途中までは車、その後は村人と協力しJENのスタッフが資材を運ばなければなりません。

特にカラリ村の小学校は、山を越え川を隔てた向こう岸にあり、車が走れる道路も橋もありませんでした。JENのスタッフと村人たちで重いテント資材を背負い、15分以上急な山道を登り、冷たい雪解け水の川の中を歩きました。

カラリ村に着いてまず目にしたのは、教科書を大切そうに抱えた大勢の笑顔の子どもたち。その日は祝日で学校は休みなのに、子どもたちは新しい教室(教室用大型テント)を心待ちにしていたのです。

子どもたちの『勉強がしたい!』という気持ちをJENは叶えます。


引き続き、皆さまのご支援をよろしくお願いいたします。

※JENスタッフのリレーエッセイ、アサヒコムで連載中!『国際支援の現場から』
http://www.asahi.com/international/shien

※JEN支援速報はこちらをご覧ください。
http://jenhp.cocolog-nifty.com/jen_pakistan/

JENは今回の地震被災者支援のため、募金を受け付けています。
みなさまのご理解、ご協力をお願い致します。

JEN情報及びJENへのご支援はこちらへ→

 
2008年10月2日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。
皆様のあたたかいご支援を誠にありがとうございました。




仮設テントで暮らす女性や子どもたちの命を守るためにFPAPの女性の医療チームが献身的に活動を続けています。専門家の治療と親身なカウンセリングを求めて大勢の人が集まります。
2006年7月 カトカールにて



2005年10月8日午前8時50分(現地時間)パキスタン北部の首都イスラマバードから80キロの地点でマグニチュード7.7の大地震が発生しました。8万人を超す人が命を失い、約330万人の人が住む家を失ったこの地震で特に甚大な被害を受けたのがカシミール地方です。この地震による被害と被災者は日を追うごとに増大し、未曾有の地震災害となりました。

■ジョイセフのパキスタン地震被災者への支援活動中間報告
〜巡回医療チーム派遣〜

ジョイセフは国際家族計画連盟(IPPF)と連携しながら、パキスタン家族計画協会(FPAP)が行っている被災者に対する救援活動に協力・支援しています。パキスタン家族計画協会はパキスタン国内で母子保健、家族計画、リプロダクティブ・ヘルスの推進を行う最大のNGOです。また、長年、ジョイセフの信頼するパートナーとして様々な活動を連携して行ってきました。

ジョイセフのパキスタンの被災者支援募金には、大変多くの方々から善意の募金が寄せられました。皆さまの温かいご支援に心からお礼申し上げます。皆さまから寄せられた募金で、現在、母子保健サービスが届かない僻地の被災地の女性や子どもの命を守るために、女性の医師と医療スタッフで構成される巡回医療チームの派遣を行っています。

FPAPの医療チームは地震の発生直後から被災地に入り、多数の仮設テントを設営し、被災者たちに母子保健サービスを提供してきました。地震発生から10ヵ月が経ちましたが、この間、3ヶ月毎に、緊急支援⇒復旧支援⇒復興支援と重点を移しながら支援活動を行ってきました。


■パキスタン側カシミール地方における復興支援活動

国連の調査によると、テント生活を余儀なくされている被災者の38%が慢性的な栄養不良で、さらに、5%から10%の人々は深刻な栄養不良に罹っています。食料不足と不衛生な環境で感染症疾患が蔓延し人々の健康を脅かしています。

そこで、特に交通のアクセスが悪く地理的に孤立しているために厳しい状況にあるカトカールとパングランの2ヵ所に小さな母子保健クリニックを開設し、そこを拠点に被災女性と子どもに対する医療ケアを行っています。また、従来通り、仮設テントで暮らす被災者への巡回医療チームによる母子保健サービスの提供も継続しています。

FPAPは保健活動に加えて、家を失った人々への住宅再建も支援しています。また、カワラ開発組織とカシミール福祉協会と共同で、地震で夫を失った女性たちが、将来、子どもを育てながら何とか生きていくために生活基盤作りを支援する小額貸付金制度を行っています。

現在、パキスタン側カシミール地方(AJK)では、政府の保健局を中心に、国際機関、NGOが委員会を組織し、復興支援活動の調整を行っています。この委員会の目的は、限られた資金と人材を有効に活かし、必要とする人々に対して的確な支援を行うことです。この委員会でも被災地域での安全なお産や妊産婦ケアが緊急課題であることが再確認され、FPAPへの役割はますます重要になっています。

■北西辺境州における復興支援活動

北西辺境州では地震発生直後から、FPAPのペシャワール事務所のスタッフがマンセーラとバタグラムに入り、道路が完全に破壊された被災地で、必死の支援活動を行ってきました。仮設テントのクリニックで、非常に厳しい条件の下、スタッフたちは献身的に負傷者の治療を行い、トラウマケア、感染症の治療、発熱などあらゆる疾病の治療にあたってきました。


ここでも、地震発生時に屋内にいた女性と幼い子どもたちが最も大きな被害を受けました。十分な食料、水もなく、住む家も失った彼らはまさに生存の危機に瀕しています。

地震発生直後の緊急支援を経て、現在、仮設テントのクリニックでは、プライマリーヘルスケア、安全なお産、疥癬など蔓延する皮膚病、胃腸炎、呼吸器疾患や感染症の予防へと活動の重点を移しています。

イスラム社会では女性の社会活動は厳格に制限されており、夫を失った被災地の女性たちは深刻な生存の危機に直面しています。そこで、2004年4月から、これらの被災地の女性と子どもたちの命を守るために、これまでの仮設テントによる保健サービスの提供に加えて、FPAPの女性医師など女性の医療スタッフからなる巡回医療チームをマンセーラとバタグラムの12ヵ村へ派遣し、プライマリーヘルスケアと母子保健サービスの提供を行っています。

被災地の女性たちは地震のトラウマと今後の生活不安から今でも精神的に非常に不安定な状態にあります。このような状況下では、流産や早産の危険性が非常に高くなります。ジョイセフはFPAPと共同で、被災女性たちへの支援活動の一環としてカウンセリングによるトラウマケアを行い、妊産婦が元気な赤ちゃんを出産できるようこれからも支援します。

ジョイセフ情報はこちらへ→
 
2007年4月7日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。
皆様のあたたかいご支援を誠にありがとうございました。
■最新活動報告


■パキスタン北部地震被災地で巡回診療を実施

AMDAは、地震発生(2005年10月8日)の翌日9日より約1ヵ月間、緊急救援活動を実施しました。パキスタン国内でアフガン難民支援事業を実施しているクエッタ事務所、AMDAネパール・バングラデシュ・インドネシアの各支部、そして本部によるAMDA多国籍医師団を編成し、累計18人の医師・看護師・調整員を派遣しました。

バラーコットにて仮設診療所を設置し支援事業を展開、さらにパキスタン国内の姉妹団体であるハムダード医科大学との連携のもと、マンセラにある政府系救急病院への上記医療従事者の派遣事業を行ないました。

その後、パキスタン政府が簡易診療所を作り、女性医師一人を産婦人科対応として配置しましたが、交通アクセスが極端に悪いこの地域では医療サービスを受けることが出来ない人々が多数存在し、緊急時の外部へのアクセスは皆無に近い状況です。 

実施期間:2006年10月2日〜4日

実施場所:バラーコット(BRARKOT)村
マンセラ(北西辺境州、首都イスラマバード北部約100km)から東約40km、アザド・カシミール特別州の州都ムザファラバードやガリハビブーラに近い昨年の地震発生直後にAMDAが緊急救援活動を実施しました。

実施内容:仮設診療所Shaheen Welfare Society Youth Centre(地震後、国連人口基金(UNFPA)の援助で建てられ集会所で主に女子教育活動に使われている)で無料の巡回診療を実施しました。

診察人数:約760人

主な疾患:皮膚疾患(全体の50%以上)、肺炎など呼吸器系、下痢症をはじめとする消化器系、高血圧など

スタッフ:AMDAパキスタン・クエッタ事務所 計4人
医師2人 Dr. ZARDANA  Dr. SALAM (アフガニスタン人)
調整員1人 村上久子
調達員1人(薬剤師・看護師資格)Mr. SHER SHAH

AMDAでは皆様のご支援、ご寄付をお願いしております。ご協力をお願い申し上げます。

AMDA情報はこちらへ→
 


2006年12月31日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。
皆様のあたたかいご支援で、地震直後の緊急支援、そして仮設トイレ1,083基の設置を行なうことができました。
あたたかいご支援誠にありがとうございました。
 
■被災地の衛生を守るトイレ1,083基を設置しました。           

完成したトイレ
小学校にトイレが完成

被災地では、密集した避難生活、さらに壊れたトイレの不整備により水環境が悪化し、皮膚炎や下痢にかかる子どもが続出しました。

衛生環境の悪化を防ぐため、JVCは地元のNGOと協力し、仮設トイレの設置を行ないました。

2006年12月現在、1,083基の住民用トイレと53校の学校用トイレを設置することができました。

女性が一人で出歩くことが難しい地域なので、特に女性たちに「これまでは夜になるまでトイレを我慢していたのよ。やっと安心することができました」と喜ばれています。

 
■住民参加のトイレ設置で、自主的な復興を支えています。           

設置は住民の参加で進められる



衛生のレクチャーには多くの住民が集まる

トイレ設置のための穴掘りや組み立てなどの作業は、実際にトイレを利用する住民たちの参加で進められます。

援助に頼るのではなく、自分たちの力で地域を復興させていこう、そんな思いを支えています。

JVCは資材の提供や、トイレの設置・管理・衛生についてのサポートを行なっています。

■第三次支援(越冬支援)としてトタン板・毛布を配布
〜氷点下のテント生活をサポート〜
          

薄いテントで氷点下の夜を過ごす

トタン板で壊れた家屋を補修

寒いテントに布団が届いてほっと安心
7万5000人以上の犠牲者を出した昨年10月8日のパキスタン大地震からまもなく4ヶ月。
朝晩0度を下回る寒さの中、いまだ被災者の多くはテントでの避難生活を送っています。
越冬のための居住環境の改善が急がれる今、JVCは地元のNGOと協力して、冷気を防ぐためのトタン板や布団の支援を行なっています。  


<第3次支援>


■期間:2006年1月23日〜継続中
■対象地:パキスタン北西辺境州バタグラム県
■支援内容:氷点下の避難生活における、居住環境改善のための支援
○トタン板(仮設住宅建設・崩壊家屋補修・テント補強として)単価1600円        
○布団(テント内の敷物・掛け物として) 単価900円  
※全体の数量は見積もり中

■越冬のためにトタン板と布団を支援


この冬をいかに乗り切るか――。被災者は大きな課題に直面している。
政府が初期支援金として被災家庭に分配しているのは2万5千ルピー(約5万円)。
春までの間、何とか家族が食べるものはまかなえそうだが、住居の修復には全く足りないと言う。

パキスタン軍も被災家庭にトタン板を配布しているが、冬を越すには明らかに不十分だ。壊れた家の壁や屋根として、またテントに乗せて外気を遮るなど、汎用性の高いトタン板だが、とにかく数が不足している。

JVCは、ともに支援活動を行なっている地元NGO「SPADO(Sustainable Peace and Development Organization)」との協力体制のもと、被災者にトタン板を配ることを決定した。
トタン板に実際に釘を打ち、壊れた家屋を修復する作業は住民自身が担う。被災した人々の間に生まれてきている、自ら復興しようという気持ちを支えていく。
■第二次支援活動

JVCは、パキスタン地震への第二次支援としてパキスタンにおいてトイレ設置の支援を行っています。この支援は、パキスタンの北西辺境州バタグラム県バタグラム行政区とバタモリ行政区の2箇所で実施中です。


今回の地震に伴い、被災した住民は住み慣れた山を降りてテント暮らしを強いられています。それまでは屋外でトイレや水浴びなどを済ませていた住民、それも特に女性にとって密集したテント暮らしでは自由にトイレに行くこともままなりません。また、密集したテント暮らしでは周囲の衛生環境の整備が不可欠です。

JVCが設置しているトイレ

山岳地帯で進められる仮設住宅の建設
■JVCが設置しているトイレ

JVCでは、こうした状況に対応するべく、パキスタンの現地のNGO「SPADO(Sustainable Peace and Development Organization)」を通じて、簡易的なトイレの設置を住民と共に進めています。現在までに、すでに50箇所のトイレ建設が終了しました。


トイレ設置支援にはもう一つのねらいがあります。それは現地住民の雇用を生み出すことです。被災した住民は多かれ少なかれ震災によって経済的な打撃を受けました。このトイレ設置を通じて、彼ら自身が自分たちの力で復興の路を描いていけるよう住民を後押しするのもこの支援の大きな目的の一つです。

いくつかのトイレには、住民の工夫も見られます。天井に木材の筋交いを入れ構造を強化したり、清潔に保つために水汲みを置いている所やトイレだけの用途ではなく水浴び場として使われているなど、それぞれの住民が生活の中で自分たちの住環境を改善していこうという取組みが伝わってきました。


今回、プロジェクトの視察を行っていく中でトイレ設置の課題がいくつか見えてきました。先ほども述べたように、多くの住民はそれまでトイレを使ったことがありません。今後、JVCとSPADOはトイレの正しい使い方や衛生教育などアフターケアを強化し、快適にトイレが使われるよう住民と共に考え実行していきます。

一方で、より標高の高い山岳地帯では防寒対策として仮設住宅の設置が急がれます。12月20日には、バタグラムでも氷点下を下回る気温が記録されました。いつ雪が降ってもおかしくない状況です。これまで国際NGOやパキスタン政府などが配布してきたテントでは降雪の重さに耐えられません。

現在、降雪の恐れのある標高1500メートル以上の地域では、テントではなく仮設住宅用の建材(トタン板、防水シート、ストーブ)が強く求められています。JVCは、他の支援団体とよく調整を行いながらより緊急的な支援も視野に入れ活動を進めていきたいと考えています。


日本国際ボランティアセンター情報及びご支援はこちらへ→
 
  2006年7月26日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。ご支援誠にありがとうございました。
沢山の方々に支えられた10ヶ月間、あたたかいご支援をありがとうございました。
子ども達が絵本に接することで将来につながることを信じています。
※報告書ができました。皆様のあたたかいご支援本当にありがとうございました。(2006/11/14)
■パキスタン地震救援活動 フェーズ2全18校と復興支援物資配布活動の終了前モニタリングを行いました。 

パキスタンでは7月から夏休み。でも、フェーズ2の活動では、2週間ほど前にようやく図書室が完成し、絵本や備品が運ばれたばかり。そのため、休み中も支援校では毎日午前中、図書館を開館してもらっています。

モニタリングのために9時に学校に到着すると、まだ開いていません。普段は8時半から学校が開いているはず。早く着きすぎたかな。でも、次々と子ども達が学校にやってきます。友達とおしゃべりしながら待つ子ども達と一緒に、私たちも図書館開館を待ちます。

先生到着。「すみません。家でやることがあったから、、、」休み中は、先生も副職で稼ぐそうですから、SVAからも日当を支払うことになっています。それでもやはり他の仕事のために「家の用事」と言って先生が来てくれない学校も、、。担当となっている2人の先生のうち、どちらか1人でもやり繰りして開けてあげてください、とお願いします。

「この地域で地震の犠牲者は116人。うち40人があの学校校舎の下敷きとなり亡くなりました。」

地域長さんが時折目を潤ませながら話すなかで指差した学校は、Battal女子小学校。地域を見渡せる区長舎から、SVA支援のシェルター3棟が建っている小学校が見えます。いくつものカーブを経て山間を抜けた後、対象地の中でも一番奥地にあります。景色はとても綺麗で、私も初めて訪れたときに、退院直後であるという先生や子ども達のいるこの学校の被災状況と緑の綺麗な自然の景色とのギャップに衝撃を受けました。

地震が起こったあの朝も、瞬間に崩れた校舎が見えたと思います。どんな気持ちで大人たちが学校へ走ったのか。胸をつぶされるような、気持ちになりました。生活も大変なはずです。

この夏休み中に図書館が開いているかどうか不安になりながら近づくと、静かな図書館の中で女の子達がお絵かきをしたり絵本を読んでいます。子ども達を見ながら先生が言いました。「図書館やお楽しみ会という活動は、この子ども達のために、本当に良い活動だと思います。」

バタル男子校、この学校校舎も全壊でした。地域の家屋はほとんどが全壊している危険地域であるレッドゾーンと呼ばれ、地形の影響で地震が再度起こった時にも多大な被害が予想されるとのことで、政府が、恒久的校舎建設を禁止しており、支援団体も政府もまだ校舎建設を行う予定がありません。

そのためあれからずっとテントでの授業。地震後、他の地域に移住した人も多くいます。「電気をひこうにも、電気工事士がいません。」先生が言っていました。

学校に近づくと「A,B,C,D,E....」と先生が言って子ども達が復唱している声です。図書館兼教室で授業をしているようです。「まず、授業、それから休憩、そして図書館の時間にしています。」初めて会った時、英語で支援の希望を直談判してきた先生。図書館研修では真っ先によみきかせにトライしました。そして、この日も毎日つけているという英語の図書館日記を私に見せてくれました。読み聞かせはまだ固いんだけれど、すごく熱心に子ども達に接しています。


どの学校でも子ども達が朝早くから図書館に来ていました。

先生への図書館活動の再研修のため、子ども達によみきかせやゲームをするモニタリング担当のバシルとワハブに「次は何時来てくれるの。また来てね。」という声がきかれました。「次からは毎日先生がやってくれんだよ。先生にお願いしてね。」

 

全18校の終了前モニタリングを終えました。事業は終了しても、この後、家族や多くの友達を亡くした哀しみと自らの恐怖体験をどうやって乗り越えていくのか。

緊急救援、復興支援、開発支援、それぞれの段階で優先ニーズは異なります。その中でもSVAが緊急救援事業を行う意味を自問自答しながらの3ヶ月でした。

でも、この子達が休み中にも毎日こうして通ってきていることに答えがあると思いました。SVAが図書館で絵本を読んだり、お絵かきをしたり、友達と遊ぶ、「時間」と「空間」と「人」と「モノ」作りをこうして支援したことの意味、は確かにあると思います。

子ども達が絵本に接することで将来につながることを信じています。

沢山の方々に支えられた10ヶ月間、あたたかいご支援をありがとうございました。

◇シャンティ国際ボランティア会とは?
「シャンティ」はサンスクリット語で平和と寂静を意味します。
1980年、タイのカンボジア難民キャンプで活動をスタートし、現在はタイ、ラオス、カンボジア、アフガニスタンに事務所をおき、子どもの教育、文化の支援活動に取り組んでいるNGOです。国内外の災害救援、復興支援活動も行っています。1999年に社団法人となり、特定公益増進法人として外務省より認可されています。

シャンティ国際ボランティア会情報はこちらへ→

 
 
2006年1月31日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。
皆様のあたたかいご支援誠にありがとうございました。

ご寄付の受付は終了させていただきますが、活動自体は継続いたします。


大丈夫そうな家も、間近に行けば多くの
場合このような状態です


完全に倒壊した我が家の前に立つ老人
雪が降ってくることは誰もがわかっているのに、
自力では家を再建できない人が大勢います


援助物資の配布には大きな地域差が生じて
います。アクセスの容易ではないカットケール
周辺ではまともなテントすら、なかなか
見かけることがありませんでした


12月31日から元日にかけて、50センチ
ほどの降雪がありました。雪につぶれて
しまうテントは、もう役に立ちません


テント内部と家財道具

1.パキスタン地震救援活動概要
2005年10月に発生したパキスタン地震に対し、シャプラニールでは女性や子どもなど特別な配慮が必要とされる人々に対する支援を最優先課題として、現地で活動するNGOをパートナーにカシミール地方と北西辺境州にて救援活動を実施いたしました。

以下、現地パートナーNGO及び支援内容です。
○PNAC(The Pakistan National AIDS Consortium)
第一段階…2005年10月21日にカシミール地方ムザファラバード県カットケールにおいて100世帯を対象に約1カ月分の食料を配布。

第二段階…被災者の中でもとりわけ苦しい状況に置かれている人々(夫が死亡もしくは怪我などで働けない状況にある世帯、親を亡くした子どもたち、障がいを持っている人)のニーズについての調査を実施。

ほとんどの家屋が全壊しているために、仮設住宅の設置が急務であり、ラヒムコット村において35戸の仮設住宅建築を決定した。次にニーズが高い食料配布を、最も厳しい状況にある30世帯に絞って、3カ月分の食料を配布。

○Kohsar Welfare and Educational Society
12月1日から2ヵ月間、被災地において女性300名(妊婦、乳飲み子を抱える母親など)、子ども600名を対象に防寒着と下着の配布を行う。通常の救援物資ではカバーされていない必需品を150世帯に配布。

2.パキスタン地震被災者救援活動視察報告
2005年12月24日から1月5日までパキスタンの被災地を訪れた、当会会員でパキスタン研究を専門とする子島進氏(東洋大学助教授)に現地調査を依頼。被災地域に足を運び、地域住民からの聞き取りなどを通して、見えてきたことなど、子島氏の報告を抜粋してお伝えします。
*  *  * 
2005年10月8日の地震発生から、4カ月以上が経過した。この間、パキスタン国内での死者数は7万人を越え、行方不明者も9千人と推計されている。さらに標高1000メートル以上の高地に暮らす被災者に対しては、降雪という「第二の死の波」が押し寄せている。
今回、Kohsar Welfare and Educational Society(以下コサール)とActionAid Pakistan(以下アクションエイド)の二つの現地パートナーを訪問した。

●カシミール
このあたりは、ゆるやかな丘陵部が延々と続く地形となっている。平地が限られているので、村といっても家と家はかなり離れて建っている。家屋は遠目には大丈夫そうに見えても、近づいてみると例外なく壊れている。まともな形で残っている家は、この村にはない。布を張り合わせたような「テント」を使っている人もいる。標高1500メートルを越えるこの地方では、多い年は2メートル近く雪が積もるというのに、その対策はほとんど進んでいない。

シャプラニールは、緊急支援の第一段階として、10月21日、この村の100世帯を対象に約1カ月分の食料を配布した。そして第二段階として、35戸の仮設住宅建設を決定。

どこに行っても「家をなんとかしてほしい」との訴えを聞く。カットケール村だけで、70から80世帯が自力では家を建てられないとのことだった。男手を失った世帯も多い。周りに似たような状況の村が数限りなく広がっていることに目をつぶっても、「誰を支援するか」というのはかなりの難問である。「貧しく困っている人」の数は、設置できるシェルター数を大きく上回る。

●北西辺境州
12月30日、アクションエイドのオフィスがあるバタグラムに到着。バタグラムには大規模なテント村があり、大小のNGOもオフィスを構えている。余震が続いたアライから、住民の多くがここに避難している。ラシャンとビヤリの村を訪れる。この2つの村では、女性や子どもたちに防寒具が配られた。ビヤリ村の被害は相当ひどく、死者は60名を数えるという。カットケールと違い、家屋が密集している。それが軒並み倒壊している。

1月1日朝、周囲の山を見渡すと一面雪に覆われている。ついに雪が降り出した。帰路は、雪で立ち往生したバスやトラックのため、数カ所で渋滞。このまま峠道に閉じ込められるのではないかという不安が頭をよぎるが、なんとか通り抜けることができた。

●課題
今後、大手のNGOが連絡をとりあって、広大な山間部を網羅するような形で活動を展開するとは考えにくく、「村のNGO」を直接支援し、「村人自身による再建」を促す必要がある。その意味で、シャプラニールが、本当の意味でのローカルNGOであるコサールを支援している意義は大きい。

しかし、被災地では依然として、「テントやシェルター(寒さ対策)の不足」「支援機関間のコーディネーション不足」、「土砂崩れなどによる道路の寸断」、「社会的弱者(子ども、女性、老人、障がい者)に対する配慮の不足」など、緊急救援を行う際にたびたび指摘される課題を抱えている。

3.今後の活動

仮設住宅の建設をもってシャプラニールとしての活動は終了となりますがPNAC、アクションエイドとの連絡は継続しつつ今後さらに現地調査やモニタリングが必要かどうか判断していきます。

シャプラニール情報はこちらへ→

 
 


2006年1月7日をもちまして、ご寄付の受付を終了させていただくこととなりました。ご支援誠にありがとうございました。

ご寄付の受付は終了させていただきますが、活動自体は継続いたします。(これまでに頂戴いたしましたご寄付を中心に今後の活動を予定しております。)
今後は日本のNGOが共同で設置するカシミールの被災者キャンプの運営に加わるほか、周辺の被災者に対する住居資材の配布なども検討しています。


ワークショップに詰め掛けた被災者

スライドを使って説明する大久保

実際の工法を確認する人も

具体的な提案を話す今井建築士

仲間たちに見送られてバスが出る
(写真提供:JADE/宮崎岳=いずれも)

村へと帰る被災者
大勢が集まった帰還セレモニー

■被災者キャンプで耐震技術ワークショップ(2006.04.14)

パキスタン北部のムザファラバード周辺にある被災者用キャンプでは、3月中旬から入居者の村への帰還が始まっています。

帰還先で住宅を再建するときに、地震に強い家づくりの観点を取り入れてもらうため、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は3月27日と29日の2回、2つのキャンプで、入居者を対象とした「耐震技術と防災に関するワークショップ(研修会)」を行いました。イランなどで経験を踏まえた講義に、被災者たちも熱心に聞き入っていました。

PWJは、イランのバムで、2003年12月26日に発生した地震の後、約2年間にわたり震災復興支援を続け、耐震技術の普及に取り組みました。今回のワークショップは、ムザファラバード近郊タンドリ地区のキャンプでともに活動しているJADE(緊急開発支援機構)をはじめ、JICA(国際協力機構)、国連地域防災センター、CODE(海外災害援助市民センター、神戸市)、現地NGOアル・ムスタファと協力して実施。1回目は、タンドリ地区にあるキャンプで、2回目は、ムザファラバード市内にある別のキャンプで行い、技術者を含め、1回目は約200人、2回目は約150人の入居者が参加しました。

ワークショップでは、イラン・バムで耐震普及事業を行ってきたPWJスタッフの大久保信弘やイラン人スタッフのサリム、今井弘・一級建築士らが、地震のメカニズムや多くの建物が倒壊した原因、地域防災対策の大切さなどについて説明。とくに今井建築士は、「コーナーの柱の中に鉄の棒を通す」「壁の石組みのなかに幅いっぱいの長さを持つ石を必ず組み込む」など、費用がかけずに耐震性を強化する具体的な方法を提案しました。また、大久保たちは、バムだけではなく、阪神大震災や新潟県中越地震の経験から学んだことについても紹介。3時間近い長時間のワークショップだったにもかかわらず、ほとんどの参加者が最後まで熱心に耳を傾けていました。

参加者の1人で、タンドリ地区のキャンプ住民であるディル・パジールさん(28歳)は「ワークショップ参加するまでは、今回の地震で家が完全に倒壊した苦い経験から、仮設の住宅を建設して、将来もそこに住み続ける予定でした。しかし、ワークショップに参加して、将来、資金を貯めて、本格的な住宅再建することや、防災のための物資を確保することを考えるようになりました」と話しました。ワークショップに参加して、パジールさんのように、考えが変わった人が何人もいました。

PWJは、今後、キャンプ内に、ワークショップで紹介した耐震技術を用いてデモンストレーションモデルを建設することや、耐震技術のテキストを発行することを計画しています。


■荷物を載せた車が列をつくる山間部村落への帰還が開始(2006.03.29)

ピース ウィンズ・ジャパン(PWJ)などがパキスタン北部ムザファラバード近郊で運営している地震被災者のキャンプでは、3月中旬以降、住民たちの村への帰還が始まりました。彼らが住んでいた山間の村にはまだ雪が残っていますが、「春が来る前に村に戻って農作業を始めたい」という住民たちが多く、PWJなどがバスやトラックを手配して、帰還を支援しています。

キャンプは、ムザファラバード近郊のタンドリ地区にあり、「キャンプ・ジャパンプロジェクト」として、ジャパン・プラットフォーム(JPF)参加NGOなどが共同で運営しています。PWJは、JPF参加NGOであるJADE(緊急開発支援機構)とパートナーを組み、自治補完業務(キャンプ・マネジメント)を担当しています。

パキスタンの厳しい冬が終わり、春が近づいてくるにつれて、被災キャンプ住民から、自分たちの出身の村に帰還したという要望が寄せられるようになりました。このキャンプに入居している被災者たちの多くは、もともと険しい山間部で生活していた農民たち。春が来る前に村に戻って農作業を開始したいという強い希望を持っていました。そのためPWJなどは、自主的な帰還を応援する形で、村に戻るための交通手段となるバスやトラックの手配などを開始しました。

3月24日、多くのキャンプ住民、カシミール州政府の社会福祉大臣をはじめとする行政関係者が出席するなか、帰還開始のセレモニーが行われました。キャンプの住民からは次々に、今までの支援に対する感謝と自分の村に帰還することの喜びのスピーチがありました。その日に村へ帰還する18世帯、146人には、キャンプ内の小学校や洋裁の職業訓練に出席したことの証明書などがセレモニーの中で授与されました。

最初の帰還が始まった3月18日からこの日までに、キャンプからそれぞれの出身村に帰還した被災者は30世帯、223人。急な斜面が多い山奥の村では、震災による地すべりで村ごと消滅してしまった地域もめずらしくありません。最大時には250世帯、1661人だった被災キャンプの住民すべてが元の村に帰還するには、まだまだ時間がかかります。PWJは今後、帰還支援に加え、村で住宅を再建するときに重要な、耐震技術などをテーマにしたワークショップ(研修会)を開くことを計画しています。

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