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パレスチナ問題の事実関係につきましては、当初皆様に分かり易く解説させていただく予定で鋭意努力しておりましたが、その歴史や背景等につきましては筆舌に尽くし難い箇所があり、また地図につきましても不確定な箇所も多く、表記させていただくことが難しい状況です。誠に恐縮ではございますがご理解の程、お願い申し上げます。(※簡単な解説はこちらへ。)

NGOでは、弱い立場にあり犠牲となっている一般市民(主に女性や子ども)への支援活動を行うとともに、中立の立場で、
和平へのステップとなるような働きかけを、国境を超えNGO同士連携をとりながら希望を失わず行っています。
   
  (特活)日本国際ボランティアセンター(JVC)
(特活)JEN 

【活動地】ガザ地区 
【活動内容】子どもの栄養改善支援等

※活動は継続していますが、緊急支援募金の受付を終了いたしました。ご支援誠にありがとうございました。(2008/3/3)

【活動地】レバノン南部 
【活動内容】衛生用品、瓦礫撤去のための道具を配布

※目標を達成し、緊急支援を終了いたしました。ご支援誠にありがとうございました。ご報告はこちらへ(2007/2/20)
   






※活動は継続していますが、緊急支援募金の受付を終了いたしました。ご支援誠にありがとうございました。(2008/3/3)

■長期化する占領・紛争下の人々をサポート
〜子どもたちの栄養改善、心の成長のために〜
【活動地】パレスチナ自治区:ガザ地区

ヨルダン川西岸地区とガザ地区では、93年のオスロ和平合意以後、部分的にパレスチナの暫定自治が始まりました。しかし、2000年9月に第二次インティファーダ勃発以降、イスラエル政府によるパレスチナ自治区の占領政策はさらに厳しくなり、それに伴いパレスチナ・イスラエル双方の対立が激化、市民の犠牲が増え続けています。

占領下の自治区では、検問や道路封鎖、外出禁止令などによって人びとの移動が著しく制限されており、病院や学校に行くといった日々の営みさえ困難な状況にあります。畑や工場などの生産基盤も攻撃・破壊されています。さらに、経済の停滞は失業率増加や収入低下をもたらし、栄養失調の蔓延など人びとの健康にも深刻な影響をおよぼしています。

ガザ地区では引き続き多くの家屋が破壊され、西岸地区では『分離壁』とも呼ばれる壁/フェンスの建設により地域がさらに分断されつつある中、和平プロセスは混迷を極めています。

JVCでは、2002年春、大規模侵攻により物資の移動が制限されてしまった地域への緊急食糧支援を国際・現地NGOとともに実施しました。また、同年8 月からは、パレスチナの医療NGOが病院へ行くことが出来ない人びとのために実施する巡回診療活動を支援しました。2003年からは深刻化する栄養失調に対応するため、国際NGOとの連携のもと、ガザの幼稚園を対象にした栄養改善支援を行うとともに、ベツレヘムの難民キャンプを拠点に、子どもたち・若者たちの教育・文化支援を継続しています。

<活動内容>
●子どもの栄養改善支援


移動が制限され、農地などの生産基盤の破壊が進むパレスチナで、自治区の貧困率は75%にも及ぶといわれます 。それに伴い、栄養失調、貧血が蔓延し、特に子どもたちの身体、知的両面の成長が脅かされています。

JVCでは2003年2月から、栄養失調率の特に高いガザ地区で、幼稚園児に一日1パックの牛乳と栄養強化ビスケットを配給する事業を開始しました。現在、ガザ北部・中部・南部の6つの幼稚園、約600人の園児を対象に配給を行っています。この事業はアメリカ・イギリス・パレスチナのNGOと共同で実施しています。

1日1パックの牛乳と高栄養ビスケットで、子どもたちは1日に必要なたんぱく質の30%と、貴重なビタミンや鉄分などのミネラルを補うことができます。この牛乳やビスケットは、パレスチナ自治区内で生産されたものですので、壊滅状態にある自治区の産業の活性・維持の一助にもなっています。

☆1000円で、牛乳とビスケットを1人に1ヶ月分支援できます。 

●教育・文化支援

占領・紛争下での暮らしは、子どもたちに身体面だけではなく心理面でも大きな影響を与えています。検問所や道路封鎖、建設中の「分離壁」などは、家族の仕事を奪い、地域によっては子どもたちが学校に通う自由さえも奪います。戦車や兵士に威嚇され、家族や親族が連行されるといったことが日常的に起こる中、恐怖体験を持ちトラウマを抱えた子どもは少なくありません。

JVCは2000年からベツレヘム、ベイト・ジブリン難民キャンプのハンダラ文化センターで、子どもたちの教育・文化活動を支援しています。音楽や芸術、図書活動などを通して、子どもたちの閉塞感やストレスを少しでも軽減し、安心して遊び学べるような場作りをサポートしています。今では毎日子どもたちがセンターに集まってきて、本を読んだり、チェスをしたり、英語を習ったりと、様々な活動が行われています。03年には、夏休みの2ヶ月間、文化センターを中心とした音楽・美術・スポーツなどのサマープログラムを支援しました。今後、これらの活動を通じて、子どもたち、若者たちのリーダーシップの養成にも取り組んでいきます。

●トラウマ(心的外傷)を持つ子どもたちの言語・音楽療法の支援

パレスチナ自治区では子どもの9割以上は不安や恐怖を感じているといわれ、多くは悪夢、夜尿、集中力の低下などなんらかのトラウマ(心的外傷)の兆候があると報告されています。

ベツレヘム地区は2000年から2002年まで激しい銃撃戦が続き、外出禁止令や戦車や軍用ジープによる監視なども日常的にありました。
現在、特にその時期に乳幼児期だった子どもたちに多くのトラウマの症状がでています。

JVCは、ベツレヘム地域唯一の、重度のトラウマを抱える子どもたちに治療と教育を提供している特別学校「ホーリー・チャイルド・プログラム(HCP)」との共同で、言語療法や音楽療法によるトラウマのケアを支援しています。言語療法・音楽療法それぞれの専門家による療法の実施に加え、学校のスタッフのトレーニングも同時に行っています。

※支援活動詳細については、こちら(JVCホームページ)をご覧ください。

日本国際ボランティア(JVC)情報はこちらへ→
■レバノン国内避難民緊急支援
【活動地】レバノン南部   
 
レバノンへのご支援を、ありがとうございました。JENは2007年2月1日付でレバノンでの目標を達成し、緊急支援を終了します。

JENは、昨年7月12日以降のイスラエルによるレバノンへの攻撃を受け、停戦直後の8月17日より現地入りし、ニーズ調査を実施し、戦災により家屋に被害を受け不自由な生活を余儀なくされているレバノン南部の帰還民に対して、衛生用品キット・瓦礫撤去や住宅再建のための道具などを供給し、最低限必要な生活環境の整備を行ってきました。

衛生用品キット配布事業では、支援の手が届いていない内陸部の5村で衛生用品208セットを配布することにより、帰還民の衛生状況を改善することができました。また、瓦礫撤去道具配布事業では、戦災により家屋が破壊され、瓦礫撤去や住宅再建のための道具を必要としている人々が住むレバノン南部の38村にて道具管理委員会を立ち上げ、委員会に対して瓦礫撤去や住宅再建のための道具を配布することにより、帰還民が最低限必要とする住宅環境を整備しました。

現在、38の支援対象村では、各村の道具管理委員会が道具貸し出しに関する広告を自ら行い、道具を必要としている村人を公平な基準で選定し、道具を貸し出し、道具を管理し続けています。

JENは帰還民が最低限必要な生活環境の整備の土台を築くことができたと判断し、今後はレバノンの主体性を尊重して撤退することを決定しました。


これまで、レバノンの緊急支援にご支援いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
JENはレバノンからは撤退いたしますが、今後も紛争や災害で厳しい状況に置かれた人々に対する支援を行っていきます。これからも、皆さまのご理解とご協力をいただけますよう、お願いいたします。


 
■レバノン国内避難民緊急支援(2007/1/5)
JENは瓦礫撤去や住宅再建に必要な道具セットを、個人にではなく、予め立ち上げておいたコミュニティ代表者のグループ(ワーキンググループ)に対して配布しました。ワーキンググループが道具を管理し、必要な人に貸し出していくという仕組みです。
グループのメンバーは中立な立場で貸し出しを行える人たちで構成されています。

「もっとも支援を必要としている、社会的に弱い立場にある人を優先して支援する」というJENの方針を理解していただくことで、特定の個人に対して道具を提供するよりも多くの人に、より公平に支援の手が届くことになります。

配布地の一つ、Aita Ech Chaabという町は、特に紛争の被害を大きく受けた町です。
自治体のオフィスは、物置のようなプレハブ小屋の一室という粗末なつくりで、外には大きなテントが張られています。
このプレハブの中で町内のミーティングなどが開かれていました。

南部の町や村では、その多くで急速に復興が進んでいるにもかかわらず、この町には、いまだ破壊された建物が残り、瓦礫の山が放置されたまま。JENは早速、自治体や農業組合のリーダーなど町の中心人物から構成される道具管理委員会を立ち上げました。
そして、今後は委員会に対して道具を配布し、自治体が中心となって道具の管理をしてもらいます。

*道具セットの内容*
一輪車、シャベル、つるはし、片手用のこぎり、溶接機、チェーンソー、コンクリートミキサーなど
 



■レバノン南部にて衛生用品、瓦礫撤去のための道具を配布しました(2006/9/28)

9月28日、JENは激戦地であったレバノン南東部、イスラエル/シリアとの国境であるナバティエ地方5つの村で、緊急支援物資の配布を行ないました。

8月にスタッフが現地入りし、住宅の損壊状況や家族構成、収入の有無などを確認しながらニーズ調査を行なってきました。
この調査の結果に基づき、5つの村でそれぞれ最も厳しい状況にある人たちを支援対象として、合計208世帯分の生活必需品(タオルや水タンク、せっけんなど)セットを配布しました。

南部イスラエル国境のMhaibib村では、住宅の8割が全半壊しており、戦闘中はイスラエル軍の戦車が駐留していた地域でもあります。180世帯が住む村ですが、まだ避難先から戻ってきているのは85世帯だけです。村人たちの協力も得て、配布は順調に進みました。
同じくイスラエル国境に近いDebbine村では、セットを受け取るリストに載っていない村人たちも配布作業を手伝ってくれました。
今後、JENは瓦礫を撤去するための道具を配布する予定で、準備を進めています。

JENは今回の緊急支援のため、募金を受付けています。
みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします。
※JENのレバノン支援速報はこちらをご覧ください。

JEN情報はこちらへ→


 

【パレスチナ解説】※分かりやすさを優先させるため、簡略化しています。ご了承の程お願い申し上げます。

●パレスチナとは
西アジア地中海沿岸の細長い地域のこと。
ユ−ラシア大陸とアフリカ大陸を結ぶこの地域は、古くから戦争の「文明の十字路」と言われ、軍事・交通・産業のうえで大切な要所でした。様々な人々が集まる地であることから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教も生まれ、また石油資源が豊富なことから、ヨーロッパ列強をはじめとする諸大国の覇権争いの舞台となってきました。

●パレスチナの歴史 

16世紀初頭から20世紀初頭にかけての400年間、パレスチナは「オスマン帝国」というイスラム国家の支配下にありました。石油が発見される前のこの時期には、大きな紛争もなく、ユダヤ人、アラブ人等、平和に暮らしていたという説もあります。

1914年、第1次世界大戦が起こり、イギリス・ドイツが争います。
パレスチナを支配する「オスマン帝国」はドイツ側についていました。イギリスは、この状況を打開するため、フランスとの間で戦後の中東を分割する密約を結びながら、一方ではパレスチナに住むアラブ人とは、アラブ人地域の独立を約束し、イギリスへの協力をとりつけます。
戦争が進むにつれ、今度はアメリカがイギリス側について参戦することとなり、アメリカ経済で中心な存在であるユダヤ人へ向けて、パレスチナの地にユダヤ人国家の建設をするという約束をします。
このことがパレスチナ問題の最初の混乱の種であると言われています。

戦後、中東は英仏に分けられます。ユダヤ人及びアラブ人はともにイギリスに独立を求めイギリスと激しく衝突するとともに、ユダヤ人とアラブ人の対立が起きます。

1920年代から第二次世界大戦を経てユダヤ人難民のパレスチナへの入植が進み、事態の収拾がつかなくなり、イギリスは国連にこの地の統治権を返上します。(ユダヤ王国は紀元1世紀にローマ軍に滅ぼされ、ユダヤ人は世界各地に離散していました。ナチスによるユダヤ人迫害が、移住に拍車をかけます。


1947年、国連はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分けることとし、1948年にユダヤ人のためのイスラエル建国宣言をします。この地には多くのアラブ人が住んでいたため(1920年頃には80%を占めていたと言われています。)アラブ側は猛反発し4回の中東戦争が勃発しますが、その都度先進国の支援を受けたイスラエル側が領土を拡大、300万人超もの多くの住民が難民となり、レバノン、シリア、ヨルダン、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区等へ逃れます。(パレスチナ難民と呼ばれています。)

その後も様々な出来事がありますが、1993年、アラブ側(パレスチナ解放機構(PLO))がイスラエルを国家として正式に承認し、武力による抵抗を放棄する見返りとして、イスラエルはガザ地区とヨルダン川西岸地域の一部でパレスチナ人による自治政府を認めるという歴史的な合意が実現しました。(オスロ合意)

ところがその後イスラエル首相がイスラエル反対勢力に暗殺され、またパレスチナ側でも和平に反対する勢力が台頭するようになる等パレスチナ自治政府は、現在イスラム過激派ハマスが握っています。)収集がつかないまま、現在に至っています。

ガザ地区等のパレスチナ自治区では物資の流入が制限されイスラエルの管理下に置かれており、多くの人々が不自由で貧しい、1日2ドルの貧困ラインの生活を余儀なくされています。

今回のイスラエルによるレバノンへの攻撃はイスラエル兵がアラブ側であるレバノンのシーア派組織ヒズボラにより誘拐された事が発端となり、多くの民間人及び民間施設が犠牲となっています。また ガザ地区でも6月27日夜よりイスラエル軍の攻撃が始まっており、多くの一般住民が犠牲となっています。

NGOでは、声明を出し(2006年8月1日)、イスラエル政府、そしてヒズボラに対しても、理性ある、国際人権と人道法に基づいた行動を求めるとともに、民間人と民間施設を狙ったいかなる攻撃もこれ以上行わないよう強く訴えるとともに、即時停戦するよう要請しています。