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メルマガバックナンバーより一部抜粋

★ 第95号メルマガより(2008年11月14日発行)


◆多発する自然災害

この数ヶ月、世界各地で自然災害が多発しています。
毎年災害の多い時期ではありますが、あまりにも多いため、下記のとおり、書き出してみました。

・9/10頃 中南米ハリケーンアイク(ハイチ・キューバ・ハバナ)  死者約100人超
・9/23  中国暴風雨(中国成都・綿陽)  死者9人、行方不明者35人、負傷者340人
・9/27   ベトナム台風14号 洪水被害   死者25人
・10/5   ウイグル自治区キルジスで地震(マグニチュード6.8)  死者74人、負傷者120人以上
・10/6   チベット地震(マグニチュード6.6)  死者30人、被災者28万人以上
・10/12  コロンビア豪雨・洪水  35棟被害
・10/20  中南米ホンジュラス豪雨・洪水  死者30人、被災者72万人
・10/27  イエメン(中東)豪雨・洪水    死者180人、被災者11万人以上
・10/29  パキスタン地震(マグニチュード6.4) 死者270人、被災者4万6千人
・10/30  パレスチナ洪水 
・11/1   ベトナム洪水  死者65人
・11/6  中南米ハリケーンパロマ(キューバ) 39万人避難

当サイト参加団体では2団体が上記のうちの2つの災害について支援活動を開始しておりますが、申し訳ありません、サイトの更新が追いついていない状況です。

テレビ等のメディアでは金融危機等の影響もあり、5月のミャンマーサイクロンそして中国四川省大地震以降、これらの自然災害については全くといっていいほど報道されていません。

報道がされないとやはり寄付も集まらないため資金の目処が立たず、支援を開始したいと思いながらも、人的・資金的な面で支援活動を開始することができないNGOも多く存在するように思います。

当サイトでは寄付額は正直あまり集まらないかと思いますが、活動記録として残す意味でも、また自然災害の発生状況を皆さまにお知らせする意味でも、ごくごく一部ではありますが、これらの自然災害についてwebに掲載させていただこうと考えております。

それにしても感じることは、お金が集まらないと支援活動ができないということもさることながら、貧困に陥っている国や地域では命がお金で左右されてしまっていること、そして昨今の金融危機で行き場を失った投機マネーが暴走し、穀物市場に流れ、二重にも三重にも貧困層を苦しめていることに、まさに行き場を失った思いがこみ上げてきます。


★ 第85号メルマガより(2008年9月5日発行)


◆アフガニスタンで起こった事件について その後


既にご存知かと存じますが、アフガニスタンで、大変悲しい事件が起こってしまいました。

今回被害に遭われた「ペシャワール会」は、当サイト参加団体ではございませんが、大変NGOらしいNGOで、NGO関係者はもちろん、政治家の方にも一目置かれる存在でした。

政府の補助金等は一切受けず、独自資金のみで活動を行い、常に現地の人々の貧困からの脱却と幸せだけを願い活動していました。

代表の方は医師ですが、現地に行かれ、必要とされているのは医療ではなく水と栄養(食糧)だということを知り、用水路建設や農業指導を行ってきました。

その地道な活動や理念には大変崇高なものがあり、この会の活動を知ってNGOの世界に入ってきた若い方も少なくありません。それだけに今回の事件は大変いたましく、NGO関係者の心に残した傷は大変大きなものがあります。(中略)

アフガニスタンは、内戦や干ばつ等の影響で貧困がますます深刻化 しています。貧困が人々を追い詰め、普通では考えられないことも多く発生してしまいます。悲しいことですが、それが現実です。

(中略)

前回も書かせていただきましたが、今回のアフガニスタンの事件はNGO関係者にとって大変衝撃的な出来事でした。緊急集会や、「9・11後の世界」としてイベントを開くなど、様々な動きが出ています。

政府や一部の人々からは、この事件を受け、「テロとの戦いに全力を注ぐべき」だとの意見が出ています。

しかしながら、ペシャワール会をはじめとするNGOがこの数年言い続けてきたことは、「武力ではテロをなくすことはできない」というものでした。政府の考えとは一線を画す考え方です。

今回の事件でNGOが不安に思っていることは、この考え方が否定されてしまうことです。

アメリカ・ソ連という大国に翻弄されたアフガニスタンという国では、放っておけば憎悪や貧困、飢餓によって、どんどんテロ組織に身を投じてしまう人が増えます。特に若い人ほど、その傾向が強くあります。

ペシャワール会では、現地の人々と共に、命の水を引く用水路を作り、雇用も生み出し、また用水路の周りに畑をつくり、人々の暮らしと心を豊かにすることによって、テロの芽を摘もうとしました。実際、用水路づくりには、過激派の人々も手伝ったという話もあります。

ペシャワール会が公開した伊藤さんが撮影した写真が、アサヒ・コムで掲載されていますので、是非ご覧ください。
http://www.asahi.com/national/update/0829/SEB200808290002.html

アフガニスタンの写真というと殺伐としたものが多いのですが、上記の写真は平和に満ち溢れています。こんなアフガニスタンの写真を、私ははじめて目にしました。
これらは伊藤さん赴任後に緑となった土地で、伊藤さん赴任前は、大干ばつで荒野と化していた土地だったとのことです。

もともと過激派のタリバンは、学生達が立ち上がってできた組織でした。
アフガニスタンでは多くの人々がケシを育て麻薬でお金を得ています。
また政府は汚職でまみれていましたが、それを立て直そうとし、ケシを全部焼き払うなど、厳しいルールをつくったことが始まりでした。

一時期ケシの栽培は減りましたが、その後アフガニスタンの隣で出た天然ガスを巡った大国との遣り取りや9・11事件、米国からの攻撃を受け、今の政権になってからまたケシ畑が広まっています。

今後、日本はどのような形でアフガニスタンに関わっていくべきなのか、NGOが2007年12月に、政府に対して要望書を出していますので、ご紹介させていただきます。

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◆NGO6団体から各政党への要望書
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自衛隊等が復興支援等の人道的な支援をはじめたことにより、現地では軍隊とNGOとの区別がつきにくくなり、NGOが狙われることが多くなってしまいました。

このことに危機感を抱いたNGOが、2007年12月に各政党に対し、「アフガニスタン復興支援に関する要望書」を提出しています。ポイントは下記の3点です。(JVCwebサイトより抜粋)

○現在の議論の中心は、軍隊や自衛隊など軍事的な組織による支援に関するものとなっている。日本の支援について、日本の支援が獲得してきたアフガンの人々の信頼と評価を踏まえ、軍事支援ではなく復興を中心とした平和的なアプローチを今後とも追求して欲しい。

○ISAF(国際治安支援部隊)はもちろん、ISAF傘下のPRT(地域復興チーム)による「復興支援活動」も現地では軍隊による活動とみられることが多く、現地住民の信頼を得られていないばかりか、攻撃の対象とすらなっている。
また、米軍、ISAF、これと連携するアフガン国軍による攻撃の巻き添えになって、2006年は899人、2007年は少なくとも230人の民間人が死亡している。

○現地の住民にとっては、ともに「復興支援」を掲げるNGO等とPRTとの区別は難しく、PRTの活動によって、非軍事の立場で活動を継続してきたNGO等が攻撃対象となる危険が高くなった。

人道支援はできればNGOに任せて欲しい、というのがNGOの本音かと思われます。

もともと「軍事」 と 「人道」 は両立し難い、と多くの方が言われています。

アフガニスタンを巡る情勢について、今後もご注目いただければ幸いです。

★ 第65号メルマガより(2008年4月26日発行)


◆寄付をするとは?



寄付者の方から、下記のメッセージをいただきました。

「『夢をかなえるゾウ』という本を読んで、寄付をしました。良い本なので、是非読んでみてください。」


早速ご紹介いただいた本を読んでみました。
今回はこの本の内容の一部に出てくる「寄付」に関する部分をご紹介させていただこうと思います。


この本は、若い会社員の男性が主人公です。

ある日、著名な実業家のパーティーに呼ばれ、それまで足を踏み入れたことのなかった華やかな世界を見てしまいます。

華やかな世界に比べ自分がすごく普通であることを感じ、

「変わりたい」「このまま終わりたくない」「有名になりたい」「お金持ちになりたい」「成功したい」「大きな仕事がしたい」

…と思います。


しかし、その男性は、それまでにも何度も「自分を変えたい」と思ってきました。

そう思うたびに目標を決め実行しようとするのですが、結局何日も続かず、自分に失望し自信を失うということを繰り返してきました。

そのうち、「またどうせ変われないや」ですとか、「何か大きなきっかけさえあれば変われるのだが、自分にはまだそのきっかけが来ていないだけだ」と自分に言い聞かせるようになりました。

そんな自分に嫌気がさし、パーティーから帰宅した夜、酔った勢いでインド土産の置物に八つ当たりをします。
そして「変わりたいよー」と泣きながら置物に頬ずりをしました。


翌朝、その、ゾウのような、人間のような姿をした置物は等身大となり、男性の前に現れます。

その置物は実はインドの神様でした。男性が呼び寄せてしまったのです。

なぜか関西弁を話し、タバコやお酒、ゲームもやる、人間臭い神様です。

そのインドの神様「ガネーシャ」は、毎日課題を一つずつ出します。

男性は毎日必ずその課題を実行しなければいけません。29の課題が紹介されています。


一つ目の課題は、「靴をみがく」です。

「靴をみがいて成功するのか?」男性はそう思い、ガネーシャに聞きます。

ガネーシャの答えはこうです。(関西弁です。)

「ええか?靴は自分が会社に行く時も、営業で外回りする時も、カラオケやってばか騒ぎしている時も、ずっと気張って支えてくれとんのや。自分を支えてくれる商売道具の靴を大事にできんやつが成功するか!」


…そして、大変前置きが長くなりましたが、2つ目の課題が、「寄付をする!」です。


「寄付なんて、意味ありますかね?」
「なぜ寄付することが成功につながるんでしょうか?正直、分かりません。」

この質問に対するガネーシャの答えです。


「ええか?お金いうんはな、人を喜ばせて、幸せにした分だけもらうもんや。

せやからお金持ちに『なる』んは、みんなをめっちゃ喜ばせたいて思うてるやつやねん。(中略)

世の中の人を喜ばせたいっちゅう気持ちを素直に大きくしていくことが大事やねん。そやから寄付すんねん。

自分はとにかく人を喜ばせたいし、助けたい。そういう人間になることや。」


「でも寄付ってなんか偽善者っぽい感じがするんですよね。」


「ええか?これから自分は成功していくんやろ?そのつもりなんやろ?

せやったら、これからはめちゃめちゃ人を喜ばしたり、世の中にとってええことしまくっていかなあかんのやで。それを後ろめたく思てどないすんねん。

(中略)

幸ちゃん(松下幸之助氏)はなあ、『世の中から貧困を無くす』言うて安い電化製品作ったんや。

偉大な仕事をする人間はな、マジで世の中よくしたいて純粋に思て生きてんねんで。

せやからその分、でっかいお金、流れ込んでくんねん。

お金だけやない。

人から愛されたり、幸せで満たされたり、もういっぱいええもんが流れてくんねん。」



あと27個の課題にご興味のある方は、是非お読みになってみてください。 →ご購入は是非こちらから


★ 第11号メルマガより(2007年4月20日発行)


◆NGOの認知度がブレイクしたターニングポイント

欧米から遅れること数十年。1970年代に入り、日本でも多くのNGOが設立されました。その中には欧米のNGOの支部として設立したNGOも多くあります。

設立はされたものの、日本ではまだ一般の市民にはその存在が認知されることはなく、“うさんくさい”と見られていた時期もあるといいます。

それには下記のような様々な理由があるようです。

○日本では政府や企業が色々なお膳立てをしてくれるため、市民自身が社会を運営していく必要性がなかった。

○歴史的に見て、国や行政、公務員、お上を信頼する国民性がある。

○学校教育で、市民運動やボランティア活動について教育されることがなかった。

○60年代70年代の学生運動が市民に警戒感を与えてしまった。

当時NGOは一市民として、市民の代表として活動を行っていましたが、いわゆる市民とNGOとの間にはまだかなりの温度差がありました。

しかし今や時代は変わりました。
NGOが実施する就職セミナーには、若者が押し寄せています。
賃金が企業に比べ高くないにもかかわらず、就職を希望する若者が後を絶ちません。

行政に頼っていてはらちがあかない、社会の問題解決のために働きたい、そう考える若者が着実に増えています。また、ビジネスの手法を使って社会問題解決のために貢献しようとする「社会起業家」も増えています。
そんな方達にお会いすると、日本の若者もまだまだすてたものではない、大丈夫だ、そう思います。


話を戻しますが、NGOの認知度を一気に高めたのは、1995年の阪神大震災でした。

日頃は海外を拠点として活動している日本のNGOが、この時は海外での経験を生かしていち早く取り組み、医療・給水・建設等で大きな功績を残しました。欧米からもNGOが早々に到着し、支援活動を行いました。

また「ボランティア活動が行われることが少ない」といわれていた日本で、2万人の人々が阪神地区に駆けつけ、献身的な活動を行いました。
当時のマスコミは、“日本においてもボランティアは実在した”と書き、驚きの目を持って各誌が大きく取り上げました。

このことがきっかけとなり、市民の持っている力や民間組織の影響力が一気に増し、法人格のある団体として法人格を取得することができる1998年のNPO法の設立につながることとなります。


★ 第11号メルマガより(2007年4月20日発行)


◆「NGO」という言葉のはじまり

今回は、NGOの理解を深めていただく意味で、まずこの言葉がはじめて使われた時点にさかのぼってみたいと思います。

「NGO」という用語は、1945年のサンフランシスコ会議ではじめて使われました。

このサンフランシスコ会議は、第二次世界大戦終戦の直前に開かれた会議で、国際連合設立のために、その目的や原則、理念、機能などを定めるために開かれた会議です。日本・ドイツ・イタリア以外の戦勝国により開催されました。

この会議には、政府関係者のほか、数団体に参加資格が与えられました。それらの団体は大きく次の3つに分けられました。

「政治団体」、「企業」、「民間団体」の3つです。

そして「政治団体」「企業」以外の民間団体は、「政府以外の組織」=「NGO(Non Governmental Organization:非政府組織)」と呼ばれました。これが「NGO」という言葉のはじまりです。

1945年は、昭和20年、終戦の年です。
日本では、まだ一般市民による社会のための活動というものは考えられなかった時代です。

この時すでに、欧米では国連の会議に出席できる権利を得ていたNGOが存在していたということになります。

そのうちの一つの団体の設立年を調べたところ、1844年となっていました。1844年は、日本では天保15年、なんと江戸時代でした。欧米のNGOの歴史と実績を感じます。

★ 第4号メルマガより(2007年3月10日発行)


◆寄付していただく方に対する思い -NGOアリーナ寄付サイト担当者編-


数十年前の出来事です。


ある日、10才になる一人の女の子がテレビを見ていると、24時間のチャリティー番組が放映されていました。


そこには、自分と同じ年くらいの子ども達が戦争の影響で飢えに苦しみ、悲惨な状況におかれている姿が映し出されていました。


アナウンサーは広く募金活動を呼びかけており、テレビ局前には募金を集める「愛の泉(名前は定かではありません。)」が設置されているとのことでした。


女の子は「自分は行かねばならない」、そう思い貯金箱を持ち、どうしてそこまで行くことができたのか定かではありませんが、電車に乗り、気づいた時にはテレビ局の前に立っていました。


テレビ局の入り口を少し入ったところに「愛の泉」はありました。


「あった。ここだ!」


女の子はそう思いました。そして手にしっかりと握っていた貯金箱をそっと置きました。


すでに山のように渦高く貯金箱が積まれており、その中の本当に小さな1つにすぎない小さな貯金箱でしたが、女の子はとても満足でした。


ふと我に返り周りを見回すと、誰もいません。お昼時間だったのか、人の行き来もまばらです。


「これで、いいのかな。」女の子はそう思いました。


「愛の泉」の周囲をぐるっと回ってみましたが、名前を書くような紙も、管理していると思われる人の姿も見当たりません。


「これでいいんだろうな。。」


女の子はそう思いましたが、誰か担当者のような人がいて、来てくれるのではないかと少し待つことにしました。


実際の時間は7〜8分程度ではなかったでしょうか、ただ、女の子には、その時間がとても長く感じられました。


誰も来ないので、結局帰ることにしました。
帰る道すがら、行く時はあんなに近く感じた駅までの道が、とても遠いように感じました。


「自分のお金は、ちゃんとテレビの中のあの少女達に届くのだろうか…」


今自分にできる精一杯のことを、自分で満足のできることをおそらくしたのでしょうか、なんとなく自分が一人、トボトボと道を歩いているような気がしました。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *:


上の女の子が、私自身です。
なぜあの時、なんともいえない空しい気持ちが襲ってきたのか、今でも分かりません。


ただ、もしそこに受け取っていただける誰かがいて頂けて、またはそこに軌跡が残せて、確実に思いを受け取ってもらった、という実感を持つことができていたら、また違っていたかな、と思っています。


この仕事をさせていただき寄付者の皆様から寄付のご連絡をいただく時、私の脳裏にはいつも10才の頃の自分自身がいます。


「あの時の帰り道のような思いを寄付者の方々にしてしてもらいたくない」そう思いつつ、この仕事をさせていただいています。




★ 第4号メルマガより(2007年3月10日発行)


『NGOの行う植林活動 〜その1〜


2006年度の植林活動のレポートが、NGOから届き始めています。

先進国の、特に都市部に住む人々にとって植林活動は、二酸化炭素を吸収し酸素を出してくれるもの、という認識が大きく占めていますが、途上国の人々にとって森林は、まさに生活そのもの、生活基盤となる大切なものです。薪や家畜飼料、薬品・土壌保全等の多くの役割を担っています。


ただ、人々にとっての要望は、まずはきれいな水を飲みたい、ということ、そして次に食料、医療施設、読み書きができること、そしてようやく植林が出てきます。


植林活動は成果が実感できるまでに時間がかかります。
また乾燥した地域では雨季に入るとまずは一斉に食料の作付けに取りかかるため、長期的に見れば大切な活動だと分かっていても、どうしても後回しになりがちです。


NGOでは人々が楽しく、またその成果を実感しながら活動を継続していけるよう、様々な工夫をしています。


下記ページに活動内容を掲載させていただいていますが、今後メルマガでもお伝えしていきます。
http://www.ngo-arena.org/search/field/afforest/afforest.html





★ 第2号メルマガより(2007年2月23日発行)


『NGOの掲げる最終目標』


NGOの役割は、最終的には、


『目標としていた事柄を達成し、現地の人々に事業を委ねることができ、自分たちが現地からいなくなることが理想』


と、当サイト参加団体の方々は口をそろえて言われています。


例えばある村(A村)で植林活動を行っていた場合、数年たちその成果が見えてくると、評判を聞きつけて、周辺の村(B村)からも支援要請が出てきます。


ただNGOも人材上・財政上の問題があり、いくつもの村で同時に事業を推進することはできないので、A村で共に活動してきた現地のNGOや住民の方々と、下記のような直接の話し合いが持たれます。


「B村から支援要請がきている」
「A村では10年間活動してきたが、森林もかなり再生され、薪を取りに行くためにかかっていた時間が、20年前の4時間から、1時間半に短縮することができた」
「今後A村の方々自身で森林経営をしていけるように引き継いでいければと考えている」


A村ではNGOからのこの申し出を受け、住民間で話し合いをもち、最終的に下記の意見がまとまりました。


『今まで森林事業のみならず学校やその他、長い間本当によく支援してくれました。
森林はかなり回復してきているので、これからは、造林を必要としている別の地域をぜひ支援してほしい』


この意見を受け、NGOではA村での支援については3年間かけて少しずつ支援を縮小していき、その分、支援の届かなかった近隣のB村へ活動をシフトしていくこととなりました。


(参考)ヒマラヤ保全協会 植林活動より http://www.ngo-arena.org/shoukai/ihc/ihc.html


これらの活動を見ていますと、事業も組織も人も、最終目標とするところは同じように思われてきます。


あくまで主役はその事業や人であり、支援する側は、主役が自分でも気づかなかったような、けれど潜在的に持っている力(可能性)を見出し、引き出し育て、最終的には自立していけるようにすること、そのことができてはじめてその事業や人の育成は成功したと言えるのでしょう。


ただ、頭では分かっていても、数年もしくは数十年という長期にわたるこれらの仕事は、本当に地道な作業の繰り返しです。


メルマガでは、これからも、このようなNGOの地道な活動にスポットをあて、ご紹介させていただければと思っています。



★ 第1号メルマガより(2007年2月10日発行)


『ブームがもたらしたもの』



様々な議論を巻き起こし、納豆ブームが終わりました。


ブームにより大きな利益を得る企業があるかもしれませんが、大きな副産物を生み出すこともあります。


数年前(1992〜1993年)、日本中をとりこにした『ナタデココ』というデザートがありました。すがすがしい味と独特の歯ざわり、食物繊維豊富なダイエット食品としても利用されました。


今回のコラムでは、この『ナタデココ』ブームの後を追ってみたいと思います。


ナタデココは、ココ椰子(やし)の実から作られています。
フィリピンでもデザートとして食べられていましたが、細々と作られる程度の売上だったため、農村部にある多数の弱小メーカーが家内制手工業として作っていました。


日本でブームが巻き起こった当時、多くの仲買人が買い付けのため、フィリッピンに詰めかけました。


フィリッピンの農村では注文に対応するため、また一攫千金を狙った節もあったかもしれませんが、畑をつぶし椰子の木を植え、設備も不十分なまま大量生産をしました。村によっては村ぐるみでナタデココを作る道具にお金を投資したところもあるといいます。


ところがあっという間にブームは終わり、バブルがはじけました。
ブームが過ぎ去ったあとに残ったものは、厳しい現実です。


ナタデココを作るにはココナツをすりおろし出てきたココナツミルクに砂糖、 氷酢酸などを混合して、 そこにナタ菌を植えつけ液を培養する必要があります。


この氷酢酸は非常に強い酸性の液体で、日本では第二石油類に分類される危険物です。


氷酢酸の酸により多くの人々が皮膚炎となり、氷酢酸が垂れ流された土壌は酸性化し、作物を育てることができなくなりました。
今なお被害に苦しむ地元住民が大勢いるといいます。


ブームの背景にはこのような現実があります。


今こそ一人一人が、物事を深く見つめ見極めることのできる力が求められているのかもしれません。

 
 
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